いろいろ歴史 その6
大正十四年の上海ストライキ(五・三〇事件)や香港ストライキを展開する民族運動の発端が、すでにここに芽生えていたのでした。
その第二は、このことを反映して、南京政府の革命的籍が強まったことです。
孫文はこのころから古い軍閥と手窃り、大衆的塞盤のうえに民族革命を芒すすめていく方針をとりはじめ、一方では国共合作をすすめるとともに、大正十三年には黄捕軍艦学校を設立し、革命軍としての国民党軍の育成に力をそそぐようになりました。
この学校の校長が蒋介石だったことは周知であろうが、かれののちの統一事業もここにその端を発していたのです。